オトニッチ

ニッチな音楽情報と捻くれて共感されない音楽コラムと音楽エッセイ

フジファブリックの代表曲で人気曲、桜の季節の歌詞の切ない意味とは

春の終わりに聴きたくなるフジファブリックの曲

 

そろそろ桜の季節もすぎて、ゴールデンウィークに差し掛かろうとしている頃。

この時期に毎年聴きたくなる曲がある。

 

フジファブリック桜の季節という曲だ。

 

  ↓画像クリックで動画が開きます。


フジファブリック (Fujifabric) - 桜の季節(Sakura No Kisetsu)

 

フジファブリックのメジャーデビュー曲であり、人気曲でもある曲。

メロディや演奏も少し変わった雰囲気で、それがフジファブリックというバンドを表しているような、名曲。

SINGLES 2004-2009

SINGLES 2004-2009

 

 

この曲はメロディも歌詞もとても切ない。

 

ただ、切ないのだけれども、はっきりと切ない理由や歌のストーリーについて歌っている歌詞ではない

 

では、何故、フジファブリックの桜の季節の歌詞は切ないのか。

 

それは、一つ一つのフレーズに特徴があるからだ。

 

フジファブリックについて

 

フジファブリックは2004年にメジャーデビューしたロックバンド。

 

桜の季節リリース時のメンバーは下記の5名だった。

志村正彦(ボーカル、ギター)

山内総一郎(ギター)

金澤ダイスケ(キーボード)

加藤慎一(ベース)

足立房文(ドラム)

 

その後メンバーの脱退や、2009年にボーカル志村正彦の急逝など、バンド存続の危機もありながら、活動を続けている。

 

ファンにとってはボーカル、作詞作曲を主に手掛けていた志村正彦の急逝は大きなショックで、日本のロックシーンにも大きな衝撃と損失を与えた。

 

それでも、残ったメンバーで活動を続け、その音楽も素晴らしい音楽を提供してくれている。

 

しかし、志村正彦の作る曲や詩、声はとても特徴的で、今でも過去のフジファブリックの曲を聴いてファンになる人も多く、今でも多くの人々に志村正彦の存在は大きな存在だ。

 

フジファブリック、桜の季節の歌詞について

生前、フジファブリックのほぼすべての楽曲の作詞を手掛けていた志村正彦。

 

その桜の季節の歌詞がなぜほかのソングライターにはない独特な雰囲気や切なさがあるのかを考えてみる。

 

フジファブリックの桜の季節は歌詞の全編を読んでみてもそうなのだが、はっきり言って主人公の状況や、遠くに行ってしまう人物との関係性は最後までわからない。

J-POPでヒットする曲は、そのストーリーや状況を詳細にAメロからBメロで説明するような歌詞が多いように感じるが、フジファブリックにはそのような歌はほぼない。

(他の人気バンドだとback numberなどは状況説明をAメロBメロで行うことが多い)

 

つまり少々わかりづらい歌詞なのだ。

それでも、印象的に感じるのは、歌詞のフレーズでなんとなく言っているようで、印象的な部分が散りばめられているからだ。

 

歌いだし(サビ)の歌詞について

 

桜の季節過ぎたら遠くの街に行くのかい?

桜のように舞い散ってしまうのならば やるせない

 

上記は桜の季節のサビの歌詞でもあり、曲の出だしの最初の歌詞のフレーズである。

この中で。ほかの作詞家がつかわないであろうフレーズがある。

”桜のように舞い散ってしまうのならばやるせない”という部分だ。

 

桜が散ることにたいしては、一般的に”切ない”という感情で表現することが多いかと思う。

しかし、フジファブリックの志村正彦は、やるせないという、切なさよりもどうすることもできない、悲しさやくやしさを桜を散ることに対して比喩しているのだ。

 

Bメロの歌詞について

ならば愛を込めて手紙をしたためよう

作り話に花を咲かせ僕は読み返しては感動している

 

ここでも特徴的な表現がある。

”作り話に花をさかせぼくは読み返しては感動している”

この部分だ。

 

よく読むと、これを読んで感動しているのは、相手からもらった手紙ではなくて、自分が書いた手紙を読み返して感動しているのではないだろうか?

しかも、本当にあった出来事や自分の気持ちを伝えた手紙ではなく、作り話を書いた手紙をだ。

 

そのあたりの表現を使うからこそ、志村正彦は鬼才と言われたり、時には変態と言われたりした。

しかし、自分も含め、そういった変態的な部分に、意識せずとも共感してファンになった変態がたくさんいるのではないだろうか?

 

志村は多くの人の心に隠れている”変態の心”に訴えてくる歌詞を書いていたのではないだろうか?

 

そして、桜の曲なので、”作り話に花を咲かせる”という比喩の表現を使っているのも素晴らしい。

 

大サビの歌詞について

 

その町にくりだしてみるのもいい

桜が枯れた頃 桜が枯れた頃

 

ここでの特徴的な表現は”桜が枯れた頃”という部分だ。

桜の季節の歌詞では、”桜が散る”という表現と”桜が枯れる”という表現を使い分けている。

 

桜が枯れるという表現を使う作詞家は今まで殆どいなかったのではないのではと思う。

 

ところで、桜は枯れるのはいつかという話だが、有名なソメイヨシノでも寿命が60年程度で、ほかの桜は100年を超えるものから、1000年を超えるものまである。

 

つまりその町にくりだすのが桜が枯れたころということは、もう2度と会えないし会わないということを表現しているのではないだろうか。

 

つまり、Bメロで作り話を書いた手紙をしたためたのは、もう会わないかもしれない相手だから、嘘でもいいから自分を忘れないように印象付けたかったということではないだろうか?

 

個人的にここの歌詞が最も切ないポイントである。

 

その後の歌詞

 

坂の下手を振り別れを告げる 

車は消えていく

そして追いかけてく

諦め立ち尽くす

心に決めたよ

 

主人公と相手との別れのシーンだが、ここで”心に決めたよ”という、決めたこととは何なのか?

 

それは、もう会わないということを心に決めたということではないだろうか。

 

この歌詞の前までは会うことはないかもなという、“多分”会うことはないという状況から、“2度と会わない”という状況に変わったのだろう。

 

そしてこの歌詞の後に、Bメロと同じ歌詞が続く。

 

曲の最後の歌詞

 

ならば愛を込めて手紙をしたためよう

作り話に花を咲かせ僕は読み返しては感動している

 

Bメロと同じ歌詞だが、Bメロで歌われた内容と同じなのに、伝わる気持ちは違うものがある。

 

Bメロの時は好きな相手に喜んでもらうための面白い作り話やなどを書いていたのかと思っていた。

しかし、ここでは、もう会わないと決めたにも関わらず、絶対に会いに行くよというような言葉がつづられているのではないかと感じる。

 

そして、最後はサビの歌詞を歌い、曲が終わる

 

桜の季節すぎたら遠くの町に行くのかい?

桜のように舞い散ってしまうのならばやるせない

 

つまり、この歌は別れてしまう人がいるが、それは結局最後の最後までどうすることもできかったので、もう会わないということを心に決めた主人公の歌なのではないだろうか。

 

別れの歌にも関わらず、”会いたい”とか”切ない”とかそういったありきたりな言葉を使わずに、より深い別れの悲しみや切なさを表現した、フジファブリックの桜の季節。

 

だからこそ、詳細な表現も使わず、わかりづらい表現だったとしても、知らず知らずに印象に残り、多くの人を感動させているのではと思う。

 

フジファブリックの楽曲はほかにも素晴らしい曲や、素晴らしい歌詞がたくさんある。

 

桜の季節だけでなく、多くの曲を聴いてもらえたらなと思う。

 

 

東京、音楽、ロックンロール 完全版

東京、音楽、ロックンロール 完全版

 
志村正彦全詩集

志村正彦全詩集